私たちの住む「横畠」のこと


どんな場所?

高知市から車で1時間ほど西に走ると越知町という町があります。

そこからさらに20分ほど山道を登ったところに私たちの住む

「横畠」があります。

 

横畠は標高1017mの黒森山の中腹にあり目下には仁淀川が流れていて、

山と川に抱かれた自然豊かな集落です。

 

諸説ありますが、集落の家々や畑はほとんどが南西を向いていて

横に長く広がっていることから「横畠」という名前がついたと

言われています。


どんな人柄?

横畠には7つの集落がありおよそ200人の住民が暮らしています。

 

横畠の人たちは働き者でおおらかでサービス精神旺盛です。

昼間は外で一生懸命働いて夜はお酒を飲みながら

その日の出来事を話します。そして来客があるとおいしい料理と

お酒とたのしい会話でもてなします。

 

研修で1年間生活した緑のふるさと協力隊の若者や地域学習で来てくれる大学生が第2のふるさとのように帰ってきてくれることもあり、

「また来ます!」と言って旅立っていきます。


主な産業

南西向きに土地が広がっているため日当たりがよく昔から脈々と農業

が続けられています。

 

主な産業は生姜、山椒、ミシマサイコ(薬草)で、

お茶、ピーマン、白芽(里芋)、トマトなども栽培していて

専業、兼業ともに農家が多い地域です。

 

ほとんどの人が畑で作物をつくっていて家庭の食卓に並ぶ

のは自家製の野菜ばかりです。


文化 お薬師様盆踊り

横畠では毎年8月17日に盆踊りが行われます。

 

およそ160年前に集落の疫病を収めようとお薬師様に祈願したところ、たちまち回復したという言い伝えがあります。そしてそのお礼参りとして感謝の気持ちを込めて踊りを奉納したのが盆踊りの起源として伝えられています。戦時中は途絶えていましたが、当時の老人クラブ「寿会」が祭りを復活させました。

 復活させてから集落の人は減り続け、歌い手や踊り子の確保に四苦八苦してきましたが、地域の若者が担い手を引き継ぎ160年の歴史は今も受け継がれています。


歴史 旧松山街道

 むかしの佐川(現高知県佐川町)~松山間(現愛媛県松山市)の本街道として知られ、人や馬の往来が激しかったとされる「旧松山街道」。

 

ジョン万次郎がアメリカから土佐藩に帰藩するときや幕末の志士が脱藩の際に駆け抜けた道としても伝えられています。

 

越知町はその重要な通過点で、横畠の薬師堂には松山に向かう最後の宿場町があったとされています。佐川から街道を通る人は越知町内の仁淀川を船で渡り、山道を登り、宿場町を通り、黒森山の中腹を越えて現在の仁淀川町の池川を抜けていったとされています。

 

 

私たちの目指す地域のかたち


地域の現状

 日本の中山間地域では人口の減少や高齢化に伴い、急速な過疎化が進んでいます。高知県にも2500超の集落がありますが、その集落が消滅または衰退するという危機感があります。横畠地区も例外ではないですが、盆踊りや運動会などの地域行事の継続や、地域活性化団体「虹色の里横畠」や若者グループによる交流イベント開催を行い地域活性化を図ってきました。

 また、環境整備の面では個人の努力はもちろん、地域みんなで行う道つくり(清掃活動)や井出組合による水路周辺の草刈り、国の補助金を活用した農地保全、有志ボランティアによる松山街道の整備が行われてきました。

 しかし、高齢化が進む未来のことを考えると、このままでは地域の暮らしの維持が難しくなり、安全安心な暮らしを続けていくことが困難になっていくと予想されます。

 

集落活動センター事業への試み

 そんな状況の中、高知県が進める「集落活動センター事業」に挑戦してみることにしました。この事業は地域の暮らしの支えと小さな経済活動を住民主体で行う仕組みづくりを促すもので、県の中山間地域対策の柱になっていて、地域によって課題やニーズが違う中で、県内ではそれぞれの地域でそれぞれの課題解決に向けた活動を行っています。

 横畠では、最も多かったニーズが「災害時に安心して泊まれる場所がほしい」ことと、「出身者が帰省した時に泊まれる場所がほしい」という2つでした。そこで、普段は宿泊施設として、災害時は避難場所として機能する施設をつくることにしました。他にもニーズを拾い上げて、集いの場として「喫茶店」、地域の環境整備や困りごとを解決するための「お助け隊」、宿泊施設に必要な機能として、「売店」と地域住民も利用できる「コインランドリー」を設置することにしました。そして、私たちの最大の目標である「地域の暮らしを守り、後世に繋いでいくこと」のためには、「人」が必要です。今、地方では「関係人口」という言葉が注目されています。それは「観光以上、移住未満」と表現されていて、例えば、そこに住んでいなくても休日に畑をしに来るとか、なにかしら地域の活動に顔を出すとか、そういった人のことを指します。横畠でもこの関係人口を増やすことが、地域の暮らしを担う人をつくる鍵になってくると思っています。

 「こんな地域にするために」「こんなことをしよう」そんな話し合いを重ねてきました。今でも100%正解と言える答えは出ていませんが、今出来ることから少しずつやってみようということで一歩足を踏み出すことにしました。